今年も「赤とんぼ」がやって来た!

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皆さんお元気ですか。
私の家の周りではもうあの赤トンボが飛び始めています。
これからだんだん数を増やして田畑やススキ原などでいっぱい見られるようになりますよ。皆さんは赤トンボというと、どんな思い出をおもちでしょうか。

私は新潟県三島郡寺泊町の小さな山間集落で生まれました。
生まれながらにして頭から足の先までかなりひどいアトピーになっていて、2歳半までほとんど寝たきりでした。朝起きるとシーツが身体にくっ付いていて、剥がすとシーツにアトピーの痕が人の形になって残っていたほどです。
今思い出しても辛かったです。


毎年秋頃になると身体のアトピーが少し消えて外に出られるようになるのです。
真っ青な空がとても高く感じる、ある秋晴れの日、
籠と網を持って姉にトンボ捕りに連れて行ってもらいました。

水田に囲まれた原っぱに着いたときの事です。
遠くから黒い雲のような固まりが空を覆い始めました。
はっと気がつくと赤トンボの群れが私たちの周りや空一面を
覆っているではありませんか。
その時です。
姉は持っていた青い小さな虫取り網を振り回しました。
一瞬なのに、その中には数えきれないくらいの赤トンボが入っていました。
凄い!
一匹、二匹、三匹、数えきれないくらいの赤トンボを私は夢中で虫籠に移しました。
姉の友達は、ススキの穂のてっぺんに止まっている赤トンボを、
ベタベタした鳥モチを長い竹竿の先に付けて、
それをトンボの羽にくっつけて捕っています。
よーく見るとその棒も網も届かない、ずーっと高い空の上の方には
赤トンボに混じってオニヤンマのような大きなトンボも飛んでいます。
すると姉はひもの両端に石が結びつけてある道具をポケットから取り出しました。
そして天高くその道具を思いっきり放り上げました。
くるくると回りながら高く舞い上がり、おもり付きの紐が
トンボの群れの中に入っていきます。
するとどうでしょう。
おもりを餌と間違ったのかトンボがそのおもりめがけて群がって来て
紐に絡み付いてしまったのです。
紐に絡めとられたトンボは姉の思惑通りに地面に面白いように落ちて来ます。
ダイナミックなこの捕獲方法に姉は誇らしげで、
捕れたトンボを私に手渡してくれました。

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今はもうこんなに赤トンボが飛んでいる姿を見る事は出来ません。
でも秋になって飛んでいる赤トンボを見るといつも思い出す私の原風景です。皆さんはこんな思い出の風景はありませんか。
そういえば、沖縄県西表島では友人が子どもの頃川遊びをしていて、お腹がすくと川縁の石に止まったトンボを手で捕まえて羽を残しておやつ代わりによく食べたと言っていました。
とても美味しかったそうですが、「今もやってる?」と聞いたら「食べる子なんか今はいないよ!」と返事が返って来ました。

ところでトンボという呼び名はどんな意味があるのでしょうか。
資料によると、最初の呼び名は日本書紀の記録にあるそうで
「美しく幸いなるもの」の代表として「アキヅ」と呼んでいたそうです。
夏に丘に登った神武天皇が「何と美しい国を獲得したことか、(—中略—)
アキヅが交尾している姿のようである」と語っており、
この頃から蜻蛉はアキヅと呼ばれていた事が分かります。

その後、ものの哀れを大事にする平安末期から鎌倉時代になると、
羽が透明であることと、ゆらゆらと揺れながらの飛び方の姿に着目し、
はかない陽炎のようだと想像して、アキヅをカゲロウと呼ぶようになったようです。

そして室町中期から江戸時代になると、蜻蛉は器用に空を飛んでいる姿に
面白さを感じてトンバウと呼ぶようになり、この呼び方がなまって
今のトンボの呼び方になって続いているようです。
トンバウとは、江戸時代の貝原益軒の書いた「日本釈明」にも記されていますが
「飛びかける虫なり。蜻蛉は飛ぶ羽也と記す」とあり「飛ぶ羽」すなわちトブハがなまり
トンバウそれがさらになまってトンボとなったようです。

時代によって蜻蛉のどこに注目するかで名前が変わって来ていたのですね。
愛されればこそのあだ名とも言いますが、今のトンボの呼び名は
人々に日本の原風景の代表として愛され続けてきた証だったのではないでしょうか。

2009年9月30日 09:57 | | コメントを読む (0) | コメントを書く


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