茶の湯に貢献した外来品種「侘助(ワビスケ)」

皆さん、お元気ですか。
東北関東大震災のニュースが毎日流れていますが、
被災された方々のことを思うととても辛いです。
私の多くの友人がいま現地に赴いて救助活動に加わっています。
皆さんも是非出来るところから救援活動に参加して下さいますようお願いいたします。
私の所属している日本エコツーリズム協会でも
震災から免れた岩手県二戸市と連係して被災地の支援活動を開始しています。
また職場である京都嵯峨芸術大学観光デザイン学科の教員、卒業生、在校生が
立ち上がって義援金の募金活動を開始しています。

90Wabisuke1.jpg

こんな時ですが、町家の庭で、落ち込んでいる私の心を慰めてくれることがありました。
それは、最近植えた侘助(ワビスケ)が多くの奇麗な花をつけて小さな庭を飾ってくれたことです。
侘助とはツバキの一種です。華やかに大きく咲くツバキに比べてつつましく、花は在来種であるユキツバキやヤブツバキのように大輪で上向きに開いて咲くことはありません。
3~4月に極小輪で一重、猪口(ちょく)咲きか、ラッパ咲きで、侘び寂びを感じさせる様な花をつけます。

最も流行った江戸時代の中期頃の侘助は、花が淡紅色で白斑(はくはん)をつけるコチョウワビスケ(小蝶佗介)と呼ぶ種類が主流となりました。

その後、品種改良がなされ、いろんな種類のコチョウワビスケが
生み出されたようですが、私の庭で咲いたのは、このコチョウワビスケと言われる
品種改良前の江戸時代の本(もと)種で極めて珍しいものです。
実は、京都ではモミジや山野草で有名な常寂光寺(じょうじゃっこうじ)の
住職さんから頂いた由緒あるものなのです。

90Wabisuke2.jpg

この侘助という名前の由来には、幾つかの資料を見ますと、
「豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、加藤清正が持ち帰ったものを、
 利休と同じ時代に泉州堺に笠原七郎兵衛、法名吸松斎宗全という茶人がいて、
 後に還俗侘助といったが、この茶人がひどくこの花を愛玩したところから、
 いつとなく侘助といい名で呼ばれるようになった」とか
「千利休が秀吉の怒りにふれて自刃したのは天正19年(1591年)、
 利休は最後の一服をたてるため、茶室に入ったのであるが、
 その床の間には可憐な椿がいけられてあった。
 気品のある風情に満ちたその椿に目を止めた利休が、
 いけたものの名を問うたところ下男の侘助が主人の為に
 苦心を重ねて育てた椿であるということを知った利休は、
 その心ばえと風雅心を賞し、かつこのつばきの良さを讃えて、
 今後この椿を侘助と呼ぶように申し付けた」
という諸説あるようですがいずれも定かではないようです。

90Wabisuke3.jpg

ツバキはいずれにせよ利休の時代から「茶花」として茶人が好み、その中でも侘助は特別なものとして茶人たちが好んで茶席の花としていけたようです。
ツバキを茶席にいけるときはほころびかけた蕾を最良とし、満開の大輪をいけるようなことはしません。
しかし侘助を用いる時は開花したものを用いていけられます。侘び寂びを感じさせる侘助の花は、茶人に本当に愛されているんですね。

ところで、茶の湯を通じて日本文化に多大な貢献をして来たこの侘助ですが、先ほど述べた「加藤清正が朝鮮出兵のときに持ち帰った」という伝説があるように、元々日本にあった種ではないようなのです。

後の遺伝子分析の調査では、日本の固有種であるヤブツバキやユキツバキとは
系統の違う種であることが分かっており、いずれかの時代に、
よそから持ち込まれたのは間違いないようです。
これだけ日本文化に貢献している侘助がよその国から
持ち込まれたものだなんて意外ですね。
今ちょうど京都のお寺で咲いていますから是非見に来て下さい。
辛い気持ちが少し和らぐかもしれませんよ。

2011年3月30日 09:50 | | コメントを読む (0) | コメントを書く


コメントを投稿する

ブログの管理者が公開を承認するまでコメントが反映されない場合がありますので、ご了承ください。 また、投稿されたコメントはフジテレビKIDSが企画・制作する映像物や出版物、ウェブサイト、広告宣伝などで利用させていただく場合がありますのであらかじめご了承 ください。