東北に引き継がれてきた生きる知恵とは?

みなさんもうすぐ桜の季節になりますが、今年は2週間程度開花が遅れるとのこと。
でもここ京都植物園では珍しい修禅寺桜、八重咲き紅虎の尾桜、
東海桜等が咲き始めています。
ところで、春と言えば思いだすのは、美味しい山菜ですね。
皆さんは山菜というと何を思い浮かべますか。
山菜の人気者と言えばフキノトウ、コゴミ、タラの芽、ウド、
ワラビにゼンマイ等々ですが、この山菜とは日本中でいつ頃から
みんなに食されるようになったのでしょうか。
今日はこの「山菜」に秘められたお話です。

今から1年前の3月11日、大地震と津波が東北地域を襲いました。
多くの方々の命が奪われてしまいました。
亡くなられた方々は東北地域の全人口の数%にも及ぶと言われています。

でも皆さん、実は東北地域は地震や津波に古来より幾度となく見舞われながらも
たくましく立ち直って生き抜いて来た地域なのです。

残っている災害記録によれば、大きなものだけでも
天長7年(830年)の大地震での死者100名に始まり、
貞観11年(869年)の大地震では死者1,000名に及び、
その数は当時の全人口の60%近くであったとも言われています。
また東北最大の死者を出したと言われる慶長年間(1611年)の地震津波大災害では
死者6,700人との記録があり、実に、わかっているだけでも
16回以上もの災害に見舞われているのです。

でも、東北地域を襲った天災はこれだけではありません。
もう一つの災害である「大飢饉」が人々を襲っているのです。
江戸時代、岩手県盛岡に居城を定めてからの南部藩の記録によれば、
300年間に49回も大凶作にあい、特に深刻を極めた元禄年間では
餓死者は約四万人以上、宝暦年間には餓死逃亡で十六万人以上、
天明年間には六万七千人以上とも言われています。
しかし東北地域の人々は、これらの大災害にめげること無く、
何度となく立ち上がり生き抜いて来た、たくましい地域なのです。

このような災害に遭いながら東北地域の人々は
どのようにして生き抜いてきたのでしょうか。
「真板さんその答えはここにありますよ」と、
旧南部藩の岩手県二戸市の小保内市長さんから二冊の本を見せていただきました。
その本の題名は「飢餓孝」と「民間備荒録」というものでした。
そこには、後世に伝える生きる為のびっくりするような知恵が
「飢饉覚え書き」として記されていました。

「飢餓孝」の冒頭には
「飢饉の時は自然の中にある命を養ってくれる物があるが、
 山野には食べると毒のある植物もあり、命を失うことがあるので、
 命を救ってくれる植物とその食べ方を記して後世に伝えて行くことが必要」
と書いてありました。

その第1章は土の食べ方でした。
「土砂の少ない土を採取して何度となく水でかきまわし、うわ水を捨て、繰り返し、
後にこのたまった物を煮て粥のようにして、すするとよい」と書いてありました。
驚きです。

その第2章は飢餓の時に食する草の部、木の部となっていました。
この食する草の部、木の部に記されていた植物名こそ、
いま私たちの間で人気の山菜だったのです。
もちろん私たちがよく知っている山菜もいっぱい記載されていましたが、
ここでは記されていた中で、あまり食べたことが無い少し珍しい山菜を
少しだけご紹介したいと思います。

【草の部】
カワラナデシコ、ツユクサ、ウマノスズクサ、サルトリイバラ、
ヤエムグラ、ハハコグサ、アカザ、ドクダミ、ガマ、カラスウリ、
オケラ、コウホネ、ナルコユリ、ヒルガオ

【木の部】
モミジ、ナナカマド、フジ、ミツバウツギ、マンサク、ボダイジュ、
ハゼノキ、ボケ、ニレ、カキの葉、ケヤキの葉、クルミの葉

春になればおいしい山菜!と浮かれている自分が少し恥ずかしくなりました。
今私たちが知っている山菜はこんな歴史を通して引き継がれてきた知恵だったんですね。
どこかで食べる機会があったら、
「あ!昔の人の知恵を引き継いで食べているんだ!」
と思い出してくださいね。
そしてお願いです。
是非、一日も早い復興のために、自然と向き合いたくましく生きる知恵と
文化の詰まった東北地域へのたゆまぬご支援をお願いいたします。

2012年3月28日 11:47 | | コメントを読む (0) | コメントを書く


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